02)横浜市立富岡長寿園


「助さん格さん、悪党どもを懲らしめてやりなさい!」
「はっ!」

毎週この時間になると、娯楽室の壁に埋め込まれた
100インチの液晶テレビ画面では、
毎度お決まりの水戸黄門クライマックスシーンの始まりだ。

びし!ばし!びし!ばし!
迫力の大画面で、いつものように悪徳代官の手下をぶちのめす助さん格さん。

それまでザワザワと騒がしかった娯楽室も、
この部分になると急にみなが画面に集中する。

それまで雑談していたじいさんも、車椅子で居眠りしていたばあさんも、
絶対に負けるはずはない助さん格さんの戦いぶりを、
それでもなぜかみんな手に汗握ってじっと画面に見入っている。

みんな耳が遠いせいもあってか、ばかに音量がでかい。

最近のテレビのサラウンドシステムは素晴らしい臨場感なのだが、
この音量だとよけいにすさまじい。

目の前で繰り広げられる臨場感あふれる大画面大音量の悪党退治。
画面を見つめるそれぞれの顔には、満面の恍惚感がただよっている。

そしてとうとう、例の台詞の時がやってきた。

『ええい!控え控えぃ!この印籠が目にはいらぬかぁぁぁぁ!』

画面の中では悪党どもの驚きの表情のアップ。
画面を観る目に力がこもる。
ギャラリー一同が息を呑む一瞬だ。

し〜〜〜ん・・・

静寂の中、格さんの声がサラウンドでこだまする。

『この紋所が眼に入らぬか〜! こちらにおわすお方をどなたと心得る。おそれおおくも前の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ! 』

「おおお〜!」

娯楽室のテンションはいやがおうでも一気にかけ上がってくる。
世紀の瞬間を待つみんなの体温で、場内の温度が5℃上がった。
ピッピッピッピッピッ・・・
何人かが身に付けたペースメーカーから、上昇した心拍に合わせ電子音が鳴り始める。
インジケーターはレッドゾーンに届かんばかりだ。

それを知ってか知らずか、助さんのとどめの一声が場内を一喝する。

『ええぃ!控えぃ! 一同、ご老公の御前である。頭が高い! 控えおろう〜!』

『ははぁ〜〜〜〜〜 』
地面にひれ伏す悪代官。m(_ _)m

「うおおおおおおおお〜!」

ここで場内は興奮のるつぼと化す。
「ブラボぉぉぉぉ!」
これはもはやロックコンサートの比ではない。

失神して崩れ落ちる熱狂的なおばあちゃん。
反対に、立てないはずなのに車椅子からピョンピョン立ち上がり拍手するじいさん。
その横では、わけのわからない歓声をあげ、オイオイ泣き出す者もいる。
入れ歯をはずしてカチカチ打ち鳴らすご隠居さん。
画面の黄門様にむかって拝みはじめるばあさん。

「わおおおおおおおおおおお!」
「ほにょにょにょにょぉおお!」
「なんまいだぁ、なんまいだぁ・・・」

もう誰にも止めることができない。

水戸黄門のオンエアーがある夜は、
この興奮が消灯時間の21:30まで続く。
もっともみな高齢者なので、スタミナがそう続くわけはなく、
電気が消されると即、一同熟睡である。
普段夜中にトイレに何度も起きるヤツも、この夜だけは朝までぐっすりだ。


ここは横浜市立富岡長寿園。この物語の舞台になる養老院だ。
例の義務養護法案の可決直後に、それまで公立の中学校だった富岡東中を改装して作った
生徒数(法案以降、養老院の高齢者を生徒と呼ぶようになった)300名の中規模な養老院である。

最近は高齢者の不良化が問題となっているが、
ここ横浜市立富岡長寿園は、比較的優良な養老院として県内でも有名だ。
そんな評判を聞きつけて、わざわざ越境してここへ入る高齢者も数多い。

なにはともあれ、
週で一番エキサイティングな夜が、
いつものように平和にふけていく富岡長寿園。
今夜もみな、それぞれが夢の中で黄門様になっている。




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